南信州ドライブの続きですよ…。。。コース図再掲…。。。
「道の駅遠山郷」で泊まった翌朝、すぐ近くの和田宿を歩いてみましたよ…。。。南信濃村の中心市街地、和田の町(コース図B地点)。戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄えましたよ。また、明治から大正にかけては、王子製紙による山林伐採が行なわれ、村は山林労働者でふくれあがり、現金収入を手にした男たちは和田の街にくりだし料亭で豪勢な遊びを楽しんだので、料亭などが立ち並ぶ一大繁華街となったそうですよ…。。。
朝の、「道の駅遠山郷」の風景…。。。小雨パラつき、虹が立っていましたね~。。。
この日の行動予定、前夜いろいろ考えたのですが、妙案は思いつかず…。。。とりあえずこの和田宿の散策をすることになったのですわ…。。。そして、さらにつらいことには、朝食が調達できていないので、朝食なしでの散策でしたわ…。。。泣。
遠山郷和田宿の案内板2態…。。。
まずは、和田城跡の郷土館に行ってみましたよ…。。。
高台にあるので、宿場町が見下ろせます…。。。
城主と家康の対面の像…。。。
隣接して龍淵寺があります…。。。遠山氏没落の後、建てられたそうですよ。ここの観音霊水は、単なる云われだけではなく、
日本一の鉱物物質含有量を誇るナチュラル・ミネラルウォーターだそうですよ…。。。(関連情報)
本堂と境内のフクロウ像…。。。
本堂裏に大杉があります…。。。
その後宿場町を回ってみましたよ…。。。水神、山神等を祀る石碑…。。。
秋葉街道の風景…。。。
宿場町の街道の出入り口には神々のモニュメントが建っています…。。。
東の山の稜線が朝日を受けて輝いていましたわ…。。。
和田宿を一通り見て回った後、車に戻り、R152を南下しましたよ…。。。天竜川と合流する地点で天竜川を少しさかのぼると平岡ダムがあり、ここの湖水の色が綺麗でしたわ…。。。コース図C地点。
その後、R151をC2地点の新野を目指しましたよ…。。。その途中3つの谷をトンネルや橋でぐるぐると走るところがありましたのでドラレコ動画をば…。。。ドラレコアプリでは、動画と地図が連動していて地図上で移動の様子が分かるのですが、動画だけでは、地図のイメージと移動の様子との関連が難しいですが…。。。
引き続き山道を上がって行くと、ぽっかりと開けた平野、そこが新野(千石平)でしたわ…。。。コース図C2地点。
新野からR418を走り売木峠を越えて売木の村に入ります…。。。コース図C3地点。
売木村からさらに平谷峠を越えて平谷村へ入るのですよ…。。。この峠越え、くねくねの山岳ドライブを楽しめましたわ…。。。
平谷峠は明るい感じで眺めの良いところでしたよ…。。。展望所もありましたよ…。。。コース図C4地点。
峠を越えると平谷村からR153を南下し、偶然、月瀬の大杉の看板を見つけ、それを見ることにしたのですよ…。。。wikiから要約紹介いたします…。。。コース図D地点。
この杉は樹高は40メートル、幹回りは13.8メートルあり、長野県で最大の巨木である。推定の樹齢は、1500年とも1800年ともいわれる。
月瀬地区には、このスギの大枝が折れるときは、戦争などの変事の発生や悪疫が流行するなどの凶事が起こる前兆だとの言い伝えがある。1880年(明治13年)の悪疫流行、日清・日露の両戦争やシベリア出兵、満州事変などの発生前に、このスギの大枝が折れ、太平洋戦争の開戦前にも同様に大枝が折れたといわれる。その一方、虫歯の痛み止めに霊験あらたかとされ、地域の人々の間では、虫歯が痛むときにスギにお参りすると痛みが鎮まると伝えられている。
地域の人々は月瀬神社の御神木「大杉様」として、古くからこのスギを大切にしてきた。他の巨木の多くと同様に、このスギにも伐採の危機があり、それを乗り越えてきた[1][3]。最初は江戸末期、1844年(弘化元年)のことで、1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火で焼失したままになっていた江戸城本丸の再建用にと要求された。人々は先祖代々崇敬してきた御神木を守ろうと団結したため、この話は沙汰やみとなった。明治時代に入ると、神社統合政策の影響で1908年(明治41年)に月瀬神社も他の村社8柱と合祀されることになった。神社の敷地も境内の立木も村有になったため、全部売却する話が進んでいた。月瀬地区の人々は御神木の売却を惜しみ、無尽講を結成して十数年にわたってお金を積み立て、当時の金額で800円を拠出し、1000円の値段で売却されかかっていたスギを村から買い戻すことに成功した。
このように村民から愛され続けてきた杉で、今では、周辺環境も整えられ観光客にも手軽に見られるようになっている。また、全戸交替でのトイレ清掃や地元の老人クラブ有志が草取りなどを毎週行い、このスギの保存と周辺の整備に努めているという。
いかに写真を並べてもこの木の持つ重厚感は表現することはできませんね…。。。
この辺りでようやく村のスーパーという感じのお店を見つけ、ようやくパンを買って遅い朝食とすることができましたよ…。。。まだ、9時ころでしたわ…。。。
他に行くところも思い浮かばず、この辺りの山道をぐるっと走ったら、偶然、武田信玄の墓所と云われる信玄塚に出会いましたよ…。。。
信玄は三河の野田城攻めを行った後、体調を悪くし軍勢を甲斐に引き上げさせましたが、三州街道(現R153)を伊那に向かう途中、この辺りで53歳の生涯を閉じたとされています…。。。
その後、特に立ち寄るところも思い浮かばず、帰路の方向に車を走らせたのですよ…。。。その後のコース図掲載…。。。
コース図E地点の辺りで、ちらと岩村城への案内板を見かけましたが、ちょっと記憶はあるものの、どういう城だったかは思い浮かばずパスしたのですよ…。。。ドラレコ動画…。
静止画…。。。
帰って調べてみると、戦国時代に信玄、信長、家康、秀吉が覇権を争った城のようですね…。。。また本丸は諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していることから日本三大山城の一つに数えられているのですよ…。。。
その後の帰途は、時間がたっぷりあるので、地道を走って家まで帰りましたわ…。。。笑。
いゃ~、思い付きのドライブ旅行で、立ち寄ったら面白そうなところもいろいろあったのですが、それらは、また秋にでもということで…。。。笑。
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コメント
FC2ブログ更新お疲れ様です。
遠山郷は山深い盆地のようですが、武家社会による権力が根付き、その後は要衝の地となっていったのですね。更に明治から大正にかけての山林伐採はこの地を繁華の町と変えた。「風が吹けば桶屋が云々」という言葉がございますが、これは山奥の寒村がダム建設や鉱山開発の景気で賑わうのとも似ています。
世の男どもは金を手にすれば「飲む、打つ、買う」の道楽に走わけで、これが好景気に繋がるのは港町にも言えるものと受け止めております。俗な言い方になりますが、産業振興の基盤はここにありと某は解釈しています。
城主と家康の対面の坐像はどちらが家康かわからないほどですが、敷物の厚さの違いで左側が家康であるのがわかります。狙いは城主が家康に対して片腕的な存在(権威)だったのをアピールする意図がありありと窺えます。これだけの威を放った人物が何故その後没落したのか?非常に興味を惹かれました。
♣月瀬の大杉について♣
何度も伐採の危機に瀕しながら切られなかったのは信仰の厚さもさることながら、ご利益があった?とも解釈しています。
●信玄塚について●
大層なものに遭遇されましたね。そう言えば戦国の実力者・武田信玄は織田信長と覇権争いの最中の移動中に急死したという話を聞きましたが、亡くなったのはこの辺りだったのですね。彼の死で武田の運も尽き、勝頼の代となって下降に至ったわけで、53歳の死がもう少し遅かったらと思うのは某のみでないと捉えています。
■まとめ■
おはからいにより、本日も示唆に溢れた記事に触れさせて頂きました。更新に感謝しています。ありがとうございます。
2019/08/20 URL 編集
お盆が終わってからも、何やらバタバタと過ごしており、貴兄からのコメントに対する返しレスが忘れられておりました…。m(_ _)m
いつもながら、詳細なるコメントありがたく思っております…。。。
遠山郷については、初めて聞いた名前でもあり、いわば信州の白川郷と同類の言い方ではないかと勝手に理解しております…。。。和田宿は妻籠とか有名な宿場町ほどには当時の面影は残ってはおりませんが、歴史・地理的にはいろんな興味を引く宿場町かなと思っております…。。。
大杉については、同様の見解も思います…。。。経済的価値以上の村人たちの思いが、このスギが往き残る結果となったのでしようね…。。。
信玄塚については、真田氏の動向と、戦国時代のこの地域の紆余曲折とともに、いろんな山城を訪れてみたいと思っております…。。。
2019/08/25 URL 編集